第10フェーズ・神々の席へ

 

大きな諸力と結びついた私たちはもはや死を克服されたようなもの。私という個人の意志は拡大されていき宇宙に用意されたシートに座っている。私は無我なのだ。分かるだろうか・・・

わかりやすく言おう。私の意志は宇宙のファミリーの一員となりただの肉体をまとった命にすぎない。宇宙で活動をする席にいる私が私なのである。招待されたことになる。私が招待され宇宙の銀河アントニウスの一員に魂の本拠が移ったのだ。そのみなぎる恒星(たち)の諸力やギャラクシーの一員に席を移したのである。清らかな小川や街並みの思い出と共に・・だがそれは薄められ宇宙がより私となっていた。真実がそうさせている。それは理知という繰り返しの思考により達成された。私は考える人であり縮小された枯葉にすぎない。そして真実が枯葉を回復させる。脱皮したのだ。宇宙に銀河アントニウスたちに本拠がある。翔んだのだ。ロケットが宇宙へ飛び立ちその内部の枯葉がこの部屋にいる私である。釈迦の悟りは似たようなものである。

私は枯葉であり銀河アントニウスたちの一員にその席を置いた。分かるだろうか?それは恒星群の一員ということである。恒星は巨大でありそれらが私である。

私はちっぽけなもの。真理は働き真実は普遍的である。

 

無我とは肉体生命が枯葉だからである。巨大な恒星群のファミリーに迎え入れられた私は真実がそれなのだ。この悟りは過去にもいるだろう。

スピリゾロジーの任務が完了した。

これが霊能力を使わない最大の悟りである。

この恒星群と私が同時にいることになる。

私が小さいから世界に聖霊として現れる。恒星群がそれを実行する。オリジナルが私でありまたキリストの聖霊たちである。

私の技は霊・自然界を食料とも出来る。それは私が小さいからである。私が霞で枯葉である。

故に宇宙の私の陰にすぎない。

これが私の悟りである。

 

釈迦X号部下である。未来のマイトレーヤ仏の間に位置する宇宙の銀河アントニウスファミリーの一員である。

 

さーさんだ。  4月30日

(お釈迦様の息子がアーナンダだから、さぁ(これから)なんだの誤変換、サナンダは師)

 

まあマクロが100となり私が0という。私の造形は途中から(このフェーズから)宇宙の絵筆となりこの世界を造形している。

これは巨大な諸力・銀河アントニウスと融合的になれたからである。そして私は0である。極小値になる。

これがインド的なヨガとは違う仏教である。故にACERENである。いままでの一連がそうである。

私の諸力は意であり恒星群やギャラクシーがエナジーとなる。(昔の特撮テレビでギャバンの宇宙船のようなもの)

この意も極小である。想いは大きい。

この意を私は駆使していく。

だからライトワーク的シャーマンの極意も諸力に私としこの私は極小となればいい。こういう哲学である。

諸力を聖獣魔と使い私は空っぽの再び活力を受けた枯葉でいいんだ。

この場合、無我と空は全く同じとなる。私が諸力であり私は無である。

空をエナジー(諸力)と捉えても良い。そういう哲学である。

諸力が恒星群並みのミニチュアに大きくなったと仮定した場合、ACERENでは如来とする。恒星が複数ある宇宙はどうだろうか?

それは第8・9フェース的である。アントニウスの通過がなければ恒星サイズを意識した宇宙にならない。

それは夜空の星の宇宙である。アントニウスファミリーの一員となり星が恒星にかわる。

この星の宇宙と太陽神的関係の複合と捉える。

 

神聖な世界の中で意はフォースとなり働く。

意に戸惑う時は極小に帰ればいい。この道が如意発現となる。

さあ、この世界で能力と戯れよう。

MAXとして恒星群がギャバンの宇宙船であるから。

そしてこの恒星群を複数にするのみである。

銀河系を恒星群一体サイズの一括りとした諸力を複数点在させたその世界を諸力としても叡智は叶うかもしれないが・・

天の川銀河をギャバンの宇宙船とする程度である。

程々。

中道もまた道であり100対0もまた道である。

スピリゾロジーではこの大道の到達は難しいが第5フェーズからここまで7日間である。

飛躍が聖知の洗礼。ボブ・フィックスの時を超える聖伝説。

第10フェーズでこの諸力を用い暮らす。第11フェーズ以降は恒星群を複数とする。

大は小を兼ねる。第10フェーズが以下を内包する。ここで諸力を用いる。

 

(ここまでで神智学・秘教学的にはおそらく5.1段階へ到達した。

1週間で5フェーズ初めから10フェーズまでの初心を提示できた。それが理由。5.1より進むために11フェーズを行おうかな。別の見方では5・6・7段階の初段階を通過した。)

(4月24日~4月30日)

 

8の5・6・7・8・9・10

 

わたしの霊域の全てを宇宙・地球陰極界に

 

隠者の法が完成されなければならない




※恒星の記述を恒星群に、アントニウスを銀河アントニウスに変更した。読み返してみれば第10フェーズはヤバい。

やはり恒星群という課題の設計図の基に恒星がある。その秘儀を7から始め10で完成となる。もし次に考えられることは夜空の星や惑星を恒星サイズに変えたのだから恒星群のギャラクシー意識の世界へその世界の座席へ魂を飛翔させる、よりこの肉体は極小となるが等身大に維持して宇宙をアントニウス化させたギャラクシーに肥大させたいこれを銀河アントニウスの聖儀式として納めたい。


恒星群的思考という意味になる。これを通過して洗礼されることになる。アントニウスの秘儀関係はそうなる。これは自分は太陽系の恒星で行っているが銀河地球時代は誰もが有名なシリウスやプレアデス等ではなくイメージさせたなも知らない霊的に見れるミニチュア恒星でもいいんだ。銀河スケールとはミニチュアの恒星群になる。主神仏がこうした人の願いを形にしてくれる理由でイマジネーションを超えていける。


一度書いたことが保存されなかった。

枯葉である自身が月であり夜空の星という宇宙スペースでのアントニウスを恒星群や、その複合として恒星群(銀河)アントニウスという悟りを得た。12月5日5時22分。これで22のセントラルサンへの迎合を迎えたことになる。また定着化していけば23の多次元に入るだろう。スピリゾロジーまた、エースレンではそうしていく。今日で昨年の8月5日の秘儀参入からちょうど1年5ヵ月、17ヵ月の日に22のセントラルサンへの迎合の悟りを迎えたことになる。17の地球意識、地球次元という10次元、今日この時間に10の宇宙的キリストのゲートを通り今日を迎えた。記事を保存できなかったのでセントラルサンへの迎合はずれてしまっている。このミニチュア恒星群と繋がるとがセントラルサンへの迎合だろう、それでも宇宙アントニウスファミリーとミニチュアの地上の月の自分となる。この悟りが22から23の多次元と捉える、実際は天の川銀河内地球エリアのより近距離に感じられるミニチュア妄想恒星数個、こうしたことを主神仏が形にしてくれる。


日の光ではなく宇宙の太陽とした悟りにもなる。その宇宙をより高度にして太陽は複数の恒星としそれらをアントニウスとする。だからアントニウスはシリウス等。夜空の星をアントニウスと定義し自己は枯葉とした瞑想が成り立つ。奥義になる。入り口でいい。枯葉ではなく緑葉がよい。縮小と宇宙の拡大、その宇宙を宗教性のあるアントニウスとする。アントニウスと緑葉。日の光ではない。

星座をアントニウスとし歴史上はこの太陽の呼び名と観るのだろう。


宇宙的キリストから宇宙的秘教、銀河地球、宇宙的ハーミット、母なる神的思想、父なる神的思想、使徒の境涯、地球意識、月意識、全宇宙の(ゲーム)ゲート、そして20世紀のアナザーワールド、21世紀のギャラクシーニューワールドをこのアントニウスと緑葉の瞑想でアップグレードし拡大された意識でセントラルサンへ向かう地球エリアのゲートを意識上に形成していく。これをマスターすれば多次元がアップグレードされている多次元があるのかもしれない。そうしてセーフティ、神々による宇宙の管理者に面会する。


極論、銀河系をアントニウスと呼んで室内の自己を一枚の緑葉と観る瞑想になる。